一休宗純(いっきゅうそうじゅん:1394~1481)は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、頓知に富んだ人物として知られています。
8歳の時に有名な『このはし渡るべからず』や、室町幕府三代将軍足利義満(1358~1408)に屏風の虎の捕縛を命じられ『さぁ追い出して下さい』と告げ、ギャフンと言わせたトンチ話を残したとされています。
また彼が骸骨の付いた杖をつきながら詠んだとされる歌『正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』は、特に有名です。
「正月の門松はめでたいものであるが、門松を立てるたびに年をとり、死にそれだけ近づくことになることからして、"門松は死への旅をする道の一里塚のようなものだ"、という意味となります。
本当に理にかなった歌と思います。
ある説によれば、正月に家の前を髑髏を掲げた不気味な僧侶が『正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』と歌を読みながら練り歩く不気味な光景を目の当たりにして、京の人々は正月の三ヶ日の間は外に出ないようにするという風習が広まったとも言われていますが、真偽の程はわかりません。
他説によると杖の頭に髑髏をしつらえ、「ご用心、ご用心」と言いながら練歩いたとも伝えられています。
1481年(文明13年)、酬恩庵(京都府京田辺市の薪地区)においてマラリアにより死去しています。
満87歳没(享年88)で、臨終に際し『死にとうない』と言ったと伝わっています。
切手は1989年ガーナ発行の「日本美術切手」の中の一枚で、一休宗純の肖像が描かれています。