voxsangman’s blog

世界の切手を使って医学・世界の出来事・神話・法則などをわかりやすく解説していきます。

世界史ミステリー80.イベルメクチンはなぜ新型コロナウイルス感染症の治療薬として認められなかったのか??!!-

イベルメクチンは、1970年代に北里大学大村智博士(1935~)によって発見された抗寄生虫薬です。

1981年に開発されて以来、世界中で広く使用されており、河川盲目症やオンコセルカ症などの寄生虫感染症の治療に効果があることが知られています。

イベルメクチンの作用原理は、寄生虫神経細胞や筋細胞に存在するグルタミン酸作動性Cl(クロライド)チャネルに選択的に結合し、Clに対する細胞膜の透過性を上昇させることです。その結果、寄生虫の細胞に過分極が生じ、麻痺することで寄生虫が死に至ります。

2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行以降、イベルメクチンがCOVID-19の治療や予防に有効であるという主張が一部で広まりましたが、2023年9月現在、イベルメクチンのCOVID-19に対する有効性や安全性を裏付ける十分な科学的根拠は得られててないとされていますが、2023年9月現在、COVID-19の治療薬として承認されているわけではありませんが、医師の判断により、COVID-19の治療に用いられることがあります。

インドではイベルメクチンを導入したのち、インドでの症例数や死者数がほとんどゼロになったという事実は、イベルメクチンの効果を証明するものと一部の専門家も認めています。

イベルメクチンが新型コロナウイルス感染症に有効であることは、以下の研究者も認め治療薬として使用できるよう国に働きかけています。

1.元WHOコンサルタントテス・ローリー博士

彼女はイベルメクチンの透明で正確な科学的研究のために、国際的な専門家グループであるBIRDパネルを仲間と共同で設立し、2021年4月24日、COVID-19の予防と治療のためのイベルメクチンに焦点を当てた世界初のシンポジウム「International Ivermectin for COVID Conference」を開催しました。

2.英国リパプール大学研究者でWHOコンサルタントアンドリュー・ヒル博士

ユニセフ(国連児童基金)の一部門であるUNITAID(ユニットエイド=国際医薬品購入ファシリティー)の「イベルメクチンプロジェクトチーム」として、独自に18件のイベルメクチンの臨床試験の分析を行い、次のように発表した。

 ウイルスの除去は投与量および投与期間に依存しており、イベルメクチンは対照群と比較して入院期間を有意に短縮した。

 中等度・重度の感染症を対象とした六つのRCTでは、イベルメクチン投与群では14人(2.1%)の死亡、対照群では57人(9.5%)の死亡が認められ、死亡率が75%減少した(p=0.0002)。また臨床的に良好な回復を示しており、入院期間も短縮された(注4)。

3.米国ピエール・コーリー博士

米国の救命救急医で 2020年12月の米国上院の証言の中で、駆虫薬のイベルメクチンがCOVID-19に対して「奇跡的な効果」を持つ「不思議な薬」であると主張した。

4.米国ポール・マリック博士

新型コロナウイルス感染症の治療法としてのイベルメクチンの有効性に関する雑誌論文の筆頭著者であり、この論文は2021年初めにフロンティアズ・メディア誌に出版が暫定的に受理されたがその後、出版社の主張を理由に掲載が拒否されたその後、出版社の主張を理由に掲載が拒否された。

最終的にこれらの著名な専門家がイベルメクチンが有効であると、指摘したにも関わらずイベルメクチン推奨していたが突然アンドリュー・ヒル博士が考えを翻してイベルメクチンは無効との論文を発表した結果、whoを含め全世界からイベルメクチンが無効という考えに変わり新型コロナウイルス感染症の治療薬から削除されてしまいます。

ヒル博士が論文の結論に書いたのは
「イベルメクチンはより大規模な適切にコントロールされたランダム化試験で検証されなければならない」「規制当局で判断を受けるにはまだ不十分である」でした。
COVID-19のために急いで開発された新薬群とは違って、
結論を出すのが先送りされたのです。

ザ・ハイワイヤー(The High Wire)で米国のポッドキャストのデル・ビックツリーがインタビューしています。

イベルメクチンの価格があまりにも安すぎることから、儲けにならないことから超大手の製薬会社の利益にならないこと、訪米で開発された薬品でないことなどの利害関係関係が複雑に絡み、イベルメクチンは葬られたとされています。

これはWHO、NIH、CDCやFDAが許せない事実なのだと指摘されています、特に現在のWHOの動きは非常に怪しげで危惧されています。

イベルメクチン排除のの最終目的は、"ワクチン政策"を危機に陥れる事実だからとされています。

金儲けを企む者たちはにとっては、イベルメクチンが、危険性も少なく、費用も少なくてすみ、より多くの命を救い、パンデミックを迅速に終わらせることなどはどうでもいいのだ。

このブログはイベルメクチンの効果について、賛否両論の意見を参考に私個人の意見を述べたねので、これに対しては賛否両論があると思いますが、『ザ・ハイワイヤー(The High Wire)』をご覧になってみてご自身で判断して下さい。

『元WHOコンサルタントガイベルメクチンの削除の謎を暴露 元WHOコンサルタントがイベルメクチンの削除を暴露』

※日本語字幕がついています※

ご意見がありましたら是非ともコメントをお寄せ下さい。

【日本語字幕】元WHOコンサルタントがイベルメクチンの削除の謎を暴露 FORMER W.H.O. CONSULTANT EXPOSES TAKEDOWN OF IVERMECTIN

切手は2015年シエラレオネ発行の「2015年ノーベル賞受賞者記念小型シート」に収められた一枚で、切手の上部に大村智博士そして右下にはウイリアム・キャンベル博士が描かれています。

 

2015年シエラレオネ発行2015年ノーベル賞受賞者記念小型シート

切手は2015年マリ発行の「ノーベルト賞受賞切手」の中の一枚で、円の中にに大村智博士が描かれています。

 

2015年マリ発行ノーベルト賞受賞切手

切手は2015年ニジェール発行の「2015年ノーベル賞受賞者記念小型シート」で、二段目左の切手に大村智博士が描かれています。

 

2015年ニジェール発行2015年ノーベル賞受賞者記念小型シート

 

世界史ミステリー79.明暦の大火-

この大火は明暦3年1月18日に出火し、20日までの2日にわたって江戸城の外堀以内のほぼ全域を焼きつくしました江戸三大大火(明和の大火・文化の大火・明暦の大火)と呼ばれています。

新暦の1657年3月2~4日※

この大火は、出火の状況から振袖火事(ふりそでかじ)、火元の地名から丸山火事(まるやまかじ)、この年の干支から丁酉火事(ひのととりのかじ)と呼ばれました。

江戸城江戸城天守閣をはじめ本丸、二の丸、三の丸、大名屋敷多数、市街地の大半を焼失し、30000~100000人の死者が出たとされています。

この火事で第4代征夷大将軍徳川家綱(1641~1680)の補佐をしていた保科正之(1611~1673)が江戸庶民救済を優先し、本丸や二の丸、三の丸が再建さますが天守閣はついに再建されなかった。

このような時に天守閣の再建にカネを費やすべきでないとの保科正之は考え、庶民の迷惑になるとまで言ったという記録が残っています。

そして大火の後、家康の江戸入り後からのごちゃごちゃした街並みを一掃して保科正之は江戸を防災に強い都市に改造する方針を打ち出し主要道路の道幅を拡幅するとともに、各地に火除けのための空き地や広小路を作った。

神田川を拡幅し、隅田川には初めて両国橋がかけられました。

この大火の火元が1ケ所ではなく、本郷・小石川・麹町の3か所から連続的に発生し、ひとつ目の火災が終息しようとしているところへ次の火災が発生し、甚大な被害を引き起こしたと考えられています。

この大火の原因は諸説あり、

1.振り袖の供養のため住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の狂風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は人が立ち上がったような姿で空に舞い上がり、寺の軒先に舞い落ちて火を移したちまち大屋根を覆った紅蓮の炎は突風に煽られ、一陣は湯島六丁目方面、一団は駿河台へと燃えひろがり、ついには江戸の町を焼き尽くす大火となったとされる説。

2.急激な人口の増加にともない、住居の過密化をはじめ、衛生環境の悪化による江戸の都市改造を実行するため幕府が放火したとする説。

3.火元は老中・阿部忠秋の屋敷だったが、老中屋敷からの失火は幕府の威信に関わることから幕府が隠蔽工作をして失火元は老中阿部邸に隣接する本妙寺が火元ということにしたことから、上記1と2の説を故意に広めたとする説。

切手は2003年日本発行の「江戸幕府400年記念切手」の中の一枚で、明暦の大火で消失した江戸城天守が描かれています。

 

2003年日本発行江戸幕府400年記念切手

 

世界史ミステリー78.チャレンジャー号爆発事故の原因と陰謀説の解説-

チャレンジャー事故の原因と陰謀説についてわかりやすく解説します。

チャレンジャー事故は衝撃的で悲しい事件であり、その背後にはさまざまな疑問や陰謀説が存在します。

今回は、その起こりや陰謀説の内容、真相について探っていきましょう。

スペースシャトルチャレンジャーとは、アメリカのNASAが開発した再利用型の宇宙船で1986年1月28日に、フロリダ州ケネディ宇宙センターから人類史上7回目のスペースシャトルの打ち上げが行われました。

打ち上げから73秒後に分解し7名の乗組員が全員死亡します。

事故の直接的な原因は、固体燃料補助ロケット(SRB)のOリングが低温で硬化し、燃焼ガスが漏れたことです。Oリングは、SRBの接合部を密閉するゴム製のリングで、低温になると、Oリングが硬化し、密閉力が低下します。そのため、燃焼ガスが接合部から漏れ出し、爆発に至りました。

チャレンジャー号爆発事故は、NASAの組織的な問題が指摘されました。

NASAは、打ち上げ前の天候が低温であることを認識していましたが、打ち上げを強行しまし、Oリングの低温時の性能について、十分な検討を怠っていました。

チャレンジャー号爆発事故は、NASAの安全文化に大きな影響を与えました。

NASAは、組織的な問題を改善し、安全文化を強化しました。

また、チャレンジャー号爆発事故の教訓を活かし、スペースシャトルの安全性を向上させました。

チャレンジャー事故の陰謀説としては、NASAの陰謀によって引き起こされたものだと主張しています。

事故が意図的に起こされたものであり、NASAが何らかの秘密を隠していると考えています。

当然のことながらNASAはこのような陰謀説を一蹴しています。

NASAは事故の原因は、技術の不備と誤判断によるものであると説明しています。

また、彼らは安全性の向上のために多くの改善策を取ってきたことも示しています。

その他の陰謀説では、他国干渉や宇宙人との関連性についての陰謀説も存在します。

しかし、これらの陰謀説には科学的な証拠がなく、むしろ妄想や疑いに基づいていると言えます。

未来の宇宙探査を成功させるためには、チャレンジャー号の事故を忘れず、学び続けることが不可欠なのです。

 

切手は1986年ハンガリー発行の「チャレンジャー号追悼小型シート」で、チャレンジャー号が描かれています。

 

1986年ハンガリー発行の「チャレンジャー号追悼小型シート

 

切手は1996年マリ発行の「スペースシャトルチャレンジャ号小型シート」で、天体とチャレンジャー号及び犠牲となった7人の宇宙飛行士が描かれています。

 

 

1996年マリ発行スペースシャトルチャレンジャ号小型シート

※チャレンジャー号の宇宙飛行士:マイケル・J・スミス、ディック・スコビー、ロナルド・マクネイア、後列左からエリソン・オニヅカ、クリスタ・マコーリフ、グレゴリー・ジャービス、ジュディス・レズニック※

世界史ミステリー77.ヒンデンブルグ号爆発の謎-

ヒンデンブルグ号は、水素ガスを浮力源として使用した飛行船で、1937年5月6日にアメリカのニュージャージー州レイクハーストの陸軍飛行場に着陸する際に爆発し、乗員乗客97人のうち35人が死亡しました。

ヒンデンブルグ号の陰謀説と真の原因に関して、驚くべき事実をお伝えします!

このブログでは、ヒンデンブルグ号の概要と真相、陰謀説、そして最終的な事故の原因について解説します。

ヒンデンブルグ号は第二次世界大戦前の緊張状態においてアメリカとドイツの競争の的となっており、その設計にも特筆すべきことがありました。

さらに、事故の真の原因には難燃性断熱材の問題や水素ガスの漏れ、そして静電気の影響が関与していたと言われています。

1937年5月6日、ドイツの飛行船「ヒンデンブルグ号」がニュージャージー州の空港に着


陸しようとしていた際、突如として火災が発生し、瞬く間に船体が炎に包まれました。

この悲劇的な事故は、世界中で大きな衝撃を与えました。

この飛行船は、全長245mにも及ぶ巨大な船体を持ち、最新技術と贅沢な設備で知られていて、ヒンデンブルグ号は、定期的に大西洋を横断する航空交通手段として活用されており、その華やかな外観と革新的な設計により、多くの人々の注目を集めていました。

しかし、この事故により、ヒンデンブルグ号は一転して悲劇の象徴となりました。

多くの乗員と乗客が死亡し、飛行船の安全性に対する疑問が投げかけられることとなりました。

当時、アメリカは飛行船の新しい技術に積極的で、ヒンデンブルグ号の成功はドイツにとって大きなプレッシャーでした。

しかし、ドイツもそれに応えるため、ヒンデンブルグ号を設計しました。

ヒンデンブルグ号は、当時の最新技術を駆使して作られ巨大な飛行船でありながら、速度も保つことができました。

しかし、第二次世界大戦前の緊張状態も影響していて当時の国際情勢は非常に不安定であり、ドイツは安全性にかなりのプレッシャーを感じていました。

アメリカの陰謀説では、ヒンデンブルグ号の墜落はアメリカによって引き起こされたものだと主張しています。

彼らは、ドイツを経済的に打撃するために、このような大規模な事件を仕組んだのではないかと考えています。

ドイツ内部の陰謀説では、ヒンデンブルグ号の乗組員が関与しているという説があります。

彼らは、ドイツ内の政治的な意図に従って行動し、事故を意図的に引き起こした可能性があると指摘しています。

しかし、これらの陰謀説には十分な根拠がありません。

陰謀説は興味深いですが、真実を見つけるためには客観的な証拠が必要です。

そして、ヒンデンブルグ号事故の真の原因について考えてみましょう。

静電気の影響や水素ガスの漏れ、難燃性断熱材の問題が原因とされています。

これらの問題が重なり、事故が発生した可能性が高いのです。

結論として、ヒンデンブルグ号事故はさまざまな要素が複雑に絡み合った結果であると言えます。

多くの専門家は、ヒンデンブルグ号の事故は単なる人為的なミスや技術的な問題によるものであると主張していますし、アメリカが事故に関与していたという根拠もほとんどありません。

ヒンデンブルグ号の墜落の真の原因は、静電気の影響、水素ガスの漏れ、難燃性断熱材の問題など、複数の要素が絡んでいると考えられています。

これらの要素が重なり合うことで、事故が発生したのです。

結局のところ、ヒンデンブルグ号の陰謀説はあくまで推測に過ぎません。

しかしながら陰謀説って非常に魅力的で、多くの人々の注目を集めます。

人々は、大事件には必ず何かしらの暗躍者がいるのではないかと考えてしまうものなんです。

まあ、何かドラマチックでスリリングな陰謀があっても面白いんですけど、現実的な視点を持つことも大事ですよね。

ヒンデンブルグ号の陰謀説についてはいろいろな意見がありますが、真実を見つけ出すのは難しいです。

だからこそ、事実と噂をしっかり分けて考えることが重要です。

ヒンデンブルグ号の事故の真の原因は、静電気の影響、水素ガスの漏れ、そして難燃性断熱材の問題で、アメリカによる陰謀説やドイツ内部の陰謀説は、証拠が乏しく反論されています。

最も有力な説は、着陸時に船体の外皮に付着していた静電気が、着陸用のロープと接触した際に火花を散らし、水素ガスに引火したというものです。また、船体の外皮に使用されていた塗料に含まれるアルミニウム粉末が、熱によって発火し、火災を拡大させたという説もあります。

つまり、陰謀のせいではなく、単純な設計上の問題だったのです。

ヒンデンブルグ号の事故からは、技術革新の必要性と十分な安全対策の重要性が浮き彫りになりました。

 

ヒンデンブルグ号爆発事故の当時のニュース】

 

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切手は1936年ドイツ帝国発行の「航空切手」で、飛行船 LZ-129 ヒンデンブルク号が描かれています。

 

1936年ドイツ帝国発行航空切手

切手は1998年マーシャル諸島発行の「20世紀の出来事シリーズ切手」の中の一枚で、ヒンデンブル号爆発墜落の様子が描かれています。

 

1998年マーシャル諸島発行20世紀の出来事シリーズ切手

切手は2012年ブルンジ発行の「ヒンデンブルグ号大惨事75周年小型シート」で、切手にはツェッペリンヒンデンブルグ号、シート面には燃え落ちるヒンデンブルグ号と其れに積まれていて一部焼けた当時の郵便物が描かれています。

※フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵(1837~1917)は、、ドイツの軍人であり、発明家・企業家で、硬式飛行船を実用化した人物※

 

2012年ブルンジ発行ヒンデンブルグ号大惨事75周年小型シート

切手は2016年モザンビーク発行の「ヒンデンブルグ号大惨事80周年小型シート」で、切手には着陸直前のヒンデンブルグ号、シート面には燃えて墜落したヒンデンブルグ号と救助活動の光景が描かれています。

 

2016年モザンビーク発行の「ヒンデンブルグ号大惨事80周年小型シート

切手は2009年サントメ・プリンシペ発行の「ヒンデンブルグ号小型シート」で、切手面にはツェッペリンが、シート面にはヒンデンブルグ号の爆発事故が描かれています。

 

2009年サントメ・プリンシペ発行ヒンデンブルグ号小型シート

 

世界史ミステリー76.タイタニック号沈没の謎-

タイタニック号は1912年にイギリスからアメリカへ向かう途中、氷山に衝突し沈没しました。

この事故により、1500人以上の人が亡くなりました。

船の沈没は、その当時最大かつ最先端の技術が注ぎ込まれた船体にもかかわらず、あまりにも早かったのが驚きです。

この事件には、船体の欠陥、人的ミス、あるいは破壊活動など、いくつかの理論があります。

タイタニック号沈没の謎の一つとして破壊活動説がありますすが、船は海難事故ではなく、意図的に破壊されたとされています。 

しかし、この説には多くの疑問があります。

例えば、破壊された具体的な根拠や、誰が破壊を行ったのかなどが不明ですし、破壊説が広まった背景には、単なる噂や陰謀論的な考え方があったことが指摘されます。

しかし、一方で、多くの人々がこの説を信じていることも事実です。

こうしたは解説に対し、船の設計や当時の技術的制約、また現在の科学的見解などから、船は海難事故により沈没したとの結論が出ています。

陰謀説によると、タイタニック号は本当に沈没したのではなく、保険詐欺のために姿を消したとされていますが、実際にはそれらのほとんどが裏付けられていません。

そもそも当時は保険詐欺が容易にできた時代ではありませんでしたし、そのような計画を立てられる人物もいなかったと言えます。

それでもなお、このような陰謀説は多くの人々を魅了し、広まっていったのです。

タイタニック号の事故は今でも謎が多い出来事です。

まとめると、タイタニック号の沈没という悲劇は、未だに多くの謎を含んでいますが、破壊活動説や陰謀説は証拠に乏しいため信憑性が低いとされます。

船体の構造が一つの原因であることがわかっている中、今後も新たな発見が期待されます。

 

切手は2011年ブルンジ発行の「タイタニック号沈没100周年小型シート」で、切手面には沈没し始めるタイタニック号と脱出する小型ボート・航行するタイタニック号が、シート面には氷山とぶつかるタイタニック号・出港するタイタニック号・事故を伝える新聞化を売る少年と当時の人々が描かれています。

 

2011年ブルンジ発行タイタニック号沈没100周年小型シート

切手は2012年ブルガリア発行の「タイタニック号沈没100周年記念小型シート」で、夕暮れの中のタイタニック号と当時の新聞が描かれています。

 

2012年ブルガリア発行タイタニック号沈没100周年記念小型シート

 

切手は2016年ソマリア発行の「タイタニック号無目打小型シート」で、左下切手には沈没するタイタニック号が描かれています。

 

2016年ソマリア発行タイタニック号無目打小型シート

切手は1998年ニジェール発行の「20世紀の出来事小型シート」で、切手面に沈没し始めるタイタニック号が描かれています。

 

1998年ニジェール発行20世紀の出来事小型シート


切手は1998年ソマリア発行の「タイタニック号事故記念切手」の中の一枚で、氷山にぶつかるタイタニック号が描かれています。

 

1998年ソマリア発行タイタニック号事故記念切手

切手は1999年セネガル発行の「タイタニック号遭難87周年記念切手」の中の一枚で、沈みゆくタイタニック号とボートで脱出人々が描かれています。

 

1999年セネガル発行タイタニック号遭難87周年記念切手

 

世界史ミステリー75.ダイアナ王妃事故死の謎-

ダイアナ王妃(1961~1997)の死にまつわる謎は、今もなお未解決のままです。

事件の背景から陰謀説の噂まで、私たちはダイアナ王妃事故死の真相に迫るためにあらゆる情報を追ってきましたかぜ、真相解明への道は依然として長く険しいものです。

この記事では、ダイアナ王妃事故死の謎に迫りたいと思います。

1997年8月31日、パリでダイアナ王妃と恋人のドディ・アル・ファイド(1955~1997)が、パリのトンネル内での自動車事故で亡くなりました。

ダイアナ王妃は、人々の心を掴む魅力と人道的な活動で知られる存在であったことからこの悲劇的な事件は、世界中の注目を集めました。

事件が報じられると、フランス警察とイギリスの公式発表の間には疑惑のギャップがありました。

調査当局は、彼女の死は単なる事故であると主張しましたが、多くの人々は公式発表に疑問を抱きました。

なぜなら、ダイアナ王妃は事前に自分の死について何度も警告を受けていたからです。

ダイアナ王妃の死には、さまざまな陰謀説が広がりました。

今でもダイアナ王妃の死は、単なる事故ではなく、秘密組織や王室の陰謀の一環であると信じられています。

ダイアナ王妃の事故死に関しては、公式発表がちょっと怪しい匂いが漂っていますね。

一体なぜでしょうか?

いくつかの報道では、彼女が王室との衝突を恐れていたとも言われています。

そして、この事故が陰謀の一環であると信じる人々もいるようです

次は、調査委員会の発足と調査内容について語りましょうか!

まずは、調査委員会の発足と調査内容ですが当初、英国政府はこの事故の調査を依頼される委員会を設置しましたが、調査内容は限られたものでした。

さらに驚くべきことに、証言者たちが次々と謎の失踪を遂げたという報告もあります。

これは一体なんなのでしょうか?

さらに、情報隠蔽への疑惑も浮上しています。

一部の情報によると、事件関連の証拠を意図的に隠蔽しようとする動きがあったとのこと。
なぜこれほどまでに真相究明を妨げるのでしょうか?

それには何か裏があるのでしょうか?

ダイアナ王妃事故死に関する追及と阻止の間に起こった出来事には、闇が隠されているように感じられます。

そして、この闇を解明することは私たちの希望です。

未解明の証拠や注目すべきポイントを抑え、新たな情報の浮上と追跡調査に期待が寄せられます。

世間の関心も急速に高まりつつあり、情報公開を求める声も増えています。

ダイアナ王妃事故死の真実はいつか明るみに出るのでしょうか?

私たちの好奇心と探求心が、ダイアナ王妃の真実を解き明かす力になることを信じています。

ほんとうに白日の下に出ることができるのか、私たちは待ち望んでいます。

彼女のファンや支持者が情報公開を求める声が高まっており、それは事件の真相を明らかにするためには重要な要素となります。

公的機関はこれまで以上に情報公開に努めるべきです。

ダイアナ王妃の事故死に関する真相解明はまだ終わったわけではありません。

多くの未解明のポイントが残されており、その解明は依然として世間の関心を引きつけています。

新たな情報の浮上や情報公開の要求により、これからも我々は真実への希望を持ち続けることができます。

ダイアナ王妃事故死の真実について、まだ解明されていない証拠や注目されるポイント、新たな情報の浮上や追跡調査により、未来に向かって解明の希望が広がっています。

世間の関心も高まりつつあり、情報公開を求める声も行間から聞こえてきます。

真実は未だ明らかにされていませんが、謎に満ちたダイアナ王妃事故死の真相への関心は衰えることはありません。

結論としては、解明される日が来ることを期待しながら、追い求め続ける必要があるでしょう。

全世界の人々から愛されたダイアナ王妃の切手は各国から数え切れないくらい発行されていますので、ここではそのほんの一部を紹介します。

切手は1981年イギリス領モントセラト島発行の「ダイアナ妃成婚記念小型シート」で、チャールズ皇太子とダイアナ・スペンサーが描かれています。

 

1981年イギリス領モントセラト島発行ダイアナ妃成婚記念小型シート

 

切手は1997年ソマリア発行の「ダイアナ元皇太子妃とマザーテレサ小型シート」で、ダイアナ元皇太子妃とマザー・テレサが描かれていてます。

 

1997年ソマリア発行ダイアナ元皇太子妃とマザーテレサ小型シート

 

切手は1998年イギリス発行の「ダイアナ妃追悼5種連刷記念切手」で、左からクリスティーズのカタログ、1997年イギリス肺財団式典、1991年パキスタン公式訪問、1995年国立誘導教育研究所訪問、1987年イブニングドレスのダイアナ妃が描かれていてます。

 

1998年イギリス発行ダイアナ妃追悼5種連刷記念切手

 

切手は1998年チャド発行の「ダイアナ追悼9面シート」で、それぞれダイアナ王妃が描かれています。

 

1998年チャド発行ダイアナ追悼9面シート

 

世界史ミステリー74.ウォルト・ディズニーはFBIのスパイだったのか?-

ウォルト・ディズニー(1901~1966)がFBIのスパイだったという噂は、1993年に出版されたマーク・エリオットの著書「ウォルト・ディズニーの暗い秘密」で初めて浮上しました。

エリオットは、ディズニーが1940年代から1950年代にかけて、FBIにハリウッドの共産主義者の活動に関する情報を提供していたと主張しています。

1941年、ディズニースタジオの従業員がストライキを起こした際ここに参加した者たちは、リーダーシップの乏しさと士気の低下を主張していましたが、ディズニーは共産主義者の介入があったと固く信じて、そのことを下院非米活動委員会で証言しています。

駆け出しの起業家だった頃からチャンスを見つけ、それで儲けを出す手腕に長けた抜け目ないビジネスマンだっただけでなく、才能あるアニメーターで彼にはいくつか強力なコネがあり、その一人がFBIの初代長官ジョン・エドガー・フーバー(1895~1972)とのつながりであると言われています。

ジョン・エドガー・フーバーは、権力を乱用した人物でかつ非合法な組織ともつながりがあったことから、ウォルト・ディズニーもその巻き添えにあったともされています。

この主張は、ディズニーの孫であるロバート・ディズニーによって否定されています。

ロバートは、ディズニーがFBIのスパイだったという証拠はないと述べています。

ディズニーがFBIのスパイだったかどうかは、今のところ不明です。

彼がFBIのスパイであろうがなかろうが、彼が世界の子どもたちに夢と希望を与えたことは紛れもない事実です。

 

切手は2005年香港発行の「香港ディズニーランドオープン記念小型シート」で、香港ディズニーランドとディズニーのキャラクターたちが描かれています。

 

2005年香港発行香港ディズニーランドオープン記念小型シート

切手は1968年米国発行の「ウォルト・デイスニー顕彰切手」で、彼の肖像とともに世界の子供達が描かれています。

 

1968年米国発行ウォルト・デイスニー顕彰切手

切手は2001年カンボジア発行の「アメリカ映画切手」の中の一枚で、映画フイルムの中に彼の肖像が描かれています。

 

2001年カンボジア発行アメリカ映画切手

切手は2013年ギニアビサウ発行の「ウォルトディズニーカンパニー 90周年小型シート」で、彼の肖像が描かれています。

 

2013年ギニアビサウ発行ウォルトディズニーカンパニー 90周年小型シート