聖徳太子(574~622)は、推古天皇(554~628)の摂政となり冠位十二階制定・十七の憲法制定・遣隋使の派遣などを行った人物です。
また、一度に10人の意見を聞き分けるという聡明な頭脳の持ち主でもあったとされています。
聖徳太子の名は日本人誰しもが知る偉大な人物です。
しかし近年、聖徳太子が、じつは存在しなかったという学説が唱えられ、従来の教科書表記にも影響を及ぼしています。
現在の教科書を見ても、従来聖徳太子と記載されていたのが厩戸王(聖徳太子)と表記されています。
実は聖徳太子という名前は本当の名前ではなく後世の人が彼の功績をたたえて送られた名前なのです。
本当の名前は「厩戸王(うまやとおう)」です。
厩戸王(うまやとおう:574~622)は、飛鳥時代の政治家で本名は「厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)」で、19歳で推古天皇の摂政となり、数々の偉業を成し遂げます。
その結果この功績により、後世「聖徳太子」として人々に称えられ、その名がいまに定着しています。
法隆寺は、聖徳太子が父・用明天皇のために607年(推古15年)に創建したとされています。
斑鳩寺という別名もあります。
7世紀初頭の創建は間違いないようですが、このとき建てた寺は、『日本書紀』によりますと670年(天智9年)に落雷がもとで起きた火災で焼失したとされています。
切手は2000年日本発行の「20世紀デザイン切手シリーズ第11集」に収められた中の一枚で、1万円札デザインの聖徳太子が描かれています。
切手は1938年日本発行の「第一次昭和切手」の中の一枚で、法隆寺が描かれています。