voxsangman’s blog

世界の切手を使って医学・世界の出来事・神話・法則などをわかりやすく解説していきます。

切手アラカルト-2.不発行切手-

郵政当局によって切手の発行が計画・準備が行われながら実際は何らかの要因で郵便局の窓口から販売されなかった切手のことで、実際には郵便切手として発売されていない切手のことを不発行切手という。

世界各国で何らかの事情で販売されなかった切手は多く存在します。

実際に印刷され、あとは郵便局で販売される段階で発行中止になった場合には現物が存在しますが、発行中止になった切手の多くは廃棄処分になります。

しかしそれを免れ切手収集家が入手する場合が存在しています。

中には郵便局が上層部からの発行中止指示を知らず誤って発行した場合も存在しています。

これらの不発行切手の中には、マニアの間で高額な値段で取引されている切手も存在しています。

日本の不発行切手として有名なものとしては、1923年(大正12年)に発行予定であった「昭和天皇の皇太子時代の御成婚記念切手」がありますが、この切手は製造されたものの関東大震災で印刷工場とともに大半が焼失し、発行が中止された経緯があります。

当時の南洋諸島国際連盟日本委任統治領、現在のマーシャル諸島など)を管轄していた南洋庁に発送済みの一部だけが残されていたため、御成婚の際に贈答用として約1000組が関係者に配布されていたために僅かですが現存していて高額な値段で取引されています。

切手は1923年発行予定であった「昭和天皇の皇太子時代の御成婚記念切手」の4枚の中の1枚で、霞が関東宮仮御所が描かれています。

 

1923年日本 不発行切手の中の一枚

切手の分類としては不発行切手とされています。

この切手は海外旅行の際に地元の切手商で偶然見つけて、ラッキーにも非常に安価で手に入れたものですが、現在の価格は30万円以上します。

この切手4種は状態の良いものであれば、200万円以上します。

切手は1946年オーストリアが発行予定していた「決して忘れはしない、反ファシズム切手」ですが、ヒットラーの仮面を脱いだドクロの絵の図案が過激すぎるとのことで不発行になりました。

 

1946年オーストリア 不発行切手の一枚

切手は1971年8月30日沖縄政府から発行予定されたていた「西表政府立公園切手」でしたが、日本本土復帰に当たり米ドルと日本円の交換引き換え証明書の証紙として使用され、郵便局窓口では切手として発売されておらず、本来は交換引き換え証明書の証紙としての使用済みしか存在しないはずですが、横流れ品として未使用のものが市場に出回っていますが、これも不発行切手となります。

 

1971年日本 不発行切手